鷹の方学園は、日本有数の名門校として名高い私立の高等学校だ。名前の由来はこの学園の元となった寺子屋と道場を
運営した女性剣士の名前だそうだ。
 この学園への入学には特殊な審査があるため、全志願者数の100分の1しか合格しないというある意味驚異的な学園
である。
 その厳しさから我が校は一定以上のお金持ち、もしくは天才秀才しか入れないというレッテルを貼られているが、実は
そうではない。
 勿論学力もそれなりに必要だが、1番重要なのは「霊能力」を持っているかどうか、なのだ。ケモノとの戦闘にそれは
必要不可欠なものなのだから。
 勿論イーグルとしても生徒に無償でそんな危険なことをさせているわけではない。協力者にはそれなりの報酬、学費免
除などの制度がある。ケモノとの戦闘を拒むのならまたそれもよしとしてそのためのノーマルクラスも作ってある。
 そういう家系ならともかく、一般的な家庭で霊能力を持った子供が突然出生した場合、両親は困惑する。わが子が周り
にうまく適合できるのか心配するのは当然だ。
 その点、この鷹の方学園はそういった悩みを持つ家庭にはうってつけの学園だ。だって周りがすべて、その類の生徒な
のだから。寮もあるし、進学率はいいし、あるいはそっち方面の就職先も容易に見つけてくれるので、妙な学園だが全国
からの志願者は後を絶たない。


 新学期初日。私はそんな鷹の方学園のいつもの教室で、いつもの席に座って、携帯の画面を眺めて、にやけていた。
「おはよう、憐ちゃん」
 突然声を掛けられて、私は思わず身じろぎした。だって全く気配がなかったのだ。
「お、おはようりおりん」
 慌てて見上げた先には、長いストレートの髪が綺麗で、おっとりとした目つきが大人っぽい印象の女生徒。クラスメイ
トのりおりんこと羽柴理央ちゃんだ。
 うちの学校は少し特殊で、3年間クラス替えがない。というのも生徒数自体少ないしノーマルクラスとイーグルクラス
に分かれた時点でメンツはそう変わらなくなるからだ。というわけで彼女とは1年初期からの付き合いで今後2年間をも
高校生活を共にする友人だ。
 さらに
「さっきからひとりにやにやしてー。何を見てるんだーい?」
 そんなハスキーボイスが乱入して私は後ろから抱え込まれる形になった。ちょっと手つきがセクハラまがいなのはいつ
ものことだ。
「もー! とおるん!?」
 慌てて振り返ると、そこには楽しげに笑みを浮かべるボーイッシュな女の子。こちらもクラスメイトのとおるんこと伊
草とおるちゃんだ。
 私が持っている携帯電話の画面をとおるんが覗き込んだ。
「ん!? 男の写真!?」
 とおるん特有のハスキーで格好いい声が教室に響いた。
 まだ朝は早かったけれど、それでも教室にいた他の女子達が一斉にこっちを見たのが分かった。
「これってもしかして前にメールしてた男の子?」
 りおりんが笑顔で尋ねてくる。
そう、この間遊園地に行ったときに英輔をこっそり撮って新たな待ち受け画面にしていたのだ。
 すると周りにいた女子が波のように押しかけてきた。
「見せて見せてっ」
「憐ちゃんの彼氏ー!?」
「かっこいいの!?」
「いいないいなッ」
 そんな声と共に人ごみにもまれていると
「なんですの、皆さん。朝から騒いで。レディーとしてみっともないですわよ」
 一際凛とした声が降ってきた。
 さっと人ごみが割れる。
 そこに現れたのは、ゆるやかにウェーブした豊かな髪を前に下ろした、どことなくゴージャスさを匂わせるつり目の美
少女。うちのクラスの永久学級委員長、神宮寺風香ちゃんだ。
「あ、ふうちゃん。おはよう」
 私が挨拶すると、彼女は上品にお辞儀をして
「おはようございます朔夜さん。お変わりないようで……いえ、ご回復されたようで何よりですわ」
 そう返してくれた。
 流石はふうちゃん、目が良い。
「ところで何を騒いでいたんですの?」
 彼女が問うと
「憐ちゃんの彼氏の写真があるっていうから見てたんですよ」
 誰かが言った。するとふうちゃんはぴくりと眉を動かして
「ま、まあ! 朝からそんな俗なことで騒ぐなんて気高き鷹の方学園の生徒として嘆かわしいですわっ!」
 そう嘆いた。
 周りはしん、と黙り込む。
 ふうちゃんは物言いからしてお嬢様でちょっと気位が高いところがあるが、委員長としては申し分ないほど責任感が強
く、さっきみたいに気配りも出来るすごい人だ。私は彼女が好きだし、尊敬もしている。それは他の皆も同じだろう。
 が、時に厳しい。こういった話には特に、だ。
 沈黙を破ったのはとおるんだった。
「そう堅いこと言うなって神宮寺ー。こういう話は皆で共有しないとな? ただでさえうちの学校、そういう話少ないん
だからさー」
 彼女がそう言うと、周りの女子も頷き始めた。
 確かにうちの学校でそんな話は滅多にない。
 というのもこの学園、一応男女共学とは銘打ってあるものの、実は生徒のほとんどが女子で、本当に数少ない男子は学
年ごとに1つのクラスにまとめられてしまっている。というわけでうちのクラスを含めてほとんどが女子校の状態に近い
のだ。
「ま、まあ! 伊草さん!? 学校はそんな話をするための場所ではありませんわ! 勉学や健全な友好関係を築くため
の場所ではなくて!?」
「だからー、こうして友情を深めてるんじゃないかー。神宮寺も気になるでしょ? 憐がどんな奴と付き合ってるのか」
 とおるんがそう言うと、ふうちゃんはぐっと黙り込んだ。
(……ふうちゃんも気になるのかな?)
 私が首をかしげていると
「ちょっとお借りしますわよ」
 ふうちゃんはそう言って私の携帯を手に取った。
 一応あの写真は、角度的にも結構うまく撮れたと自分では思っている。
 彼女がしかめっ面で画面を眺めること数秒。
 私も周りも固唾を呑んでじっとそれを見守っていたので、なんだか時間が妙に長く感じた。
 そして
「…………ちょっと地味ですわね」
 ふうちゃんのその言葉で周りの空気が一気に冷えた。
「じ、神宮寺、憐がいる前できっぱりとそういうこと言ってやるなよ」
 とおるんがそう言うと周りもばらばらに頷いた。するとふうちゃんは少し顔を赤くして
「そ、率直に第一印象を述べただけですわ! 人間は外見より中身が重要。ねえ、朔夜さん!?」
 私に突然振ってきた。
「え、あ、うん。そうだね。英輔優しいんだよ」
 私がそう言うと、ふうちゃんをはじめ周りが固まった。
 ただ、りおりんだけは微笑ましげに笑っている。
「?」
 私が首をかしげると
「さささ朔夜さん!? と、殿方を呼び捨てにするなんてはしたないですわよ!!」
 ふうちゃんは顔を真っ赤にしてそう叫んだ。その隣では
「ひゅー! もう呼び捨てで呼び合う仲なのか! 熱いねー熱すぎるねー! で、どこまでいったの?」
 とおるんがそんなことを聞いてきた。
「遊園地まで」
 私がわざとそう答えると周りが笑う。
「れーんー。その調子だとチューくらいもうしたのか? それとももう……」
「いいい伊草さん!? そんな嫌らしい質問はおやめなさい!」
「なんだよ神宮寺ー、顔赤いよー?」
 周りは熱気を取り戻し、皆がわいわい騒ぎ出す。
 さて、どうしたものかと苦笑しつつ首を捻っていると
「憐ちゃん、またよかったらその彼氏さん、紹介してね」
 りおりんがそっと耳打ちしてきた。
「うん。今週末こっちに来るけどそのとき紹介しようか?」
 その時、とおるんとふうちゃんの眼光がきらりと光ったのが分かった。
 私のその一言がきっかけで、週末がなんだか少し大変なことになった。



 待ちに待った土曜の午前10時。英輔がやってくるという駅の改札口で、私はひとり、突っ立っていた。
 いや、ひとりというのは仮初めで、実は私の後ろにある植え込みに、りおりん、とおるん、ふうちゃんの3人が隠れて
いるのは知っている。
 なんでも
『お前の彼氏をチェックしてやるぞ!』
 だそうだ。
 りおりんは約束した本人だし、彼女とよくつるんでいて楽しいこと好きなとおるんがこういうことに関わってくるのは
なんとなく分かるのだが、こういう話を嫌うはずのふうちゃんまでいるのはちょっと意外でもある。

 まあ、それはそれとして、私がすることはただ1つ。
 とおるんに手渡された地図のルートどおりに歩いて、私の家に行けばいいだけだ。

 見られているのが少し落ち着かない気もするが、さすがに家の中にまであの3人が乗り込んでくることはないらしいの
で、私は普段どおり振舞うことにした。
(英輔まだかなー……)
 そう思っていると、遠目に彼らしき少年が見えた。
 私が手を振ると、彼も軽く手を挙げて応えた。
(うーん、さわやかさは10点中8点てとこかな)
 とおるんに影響されて今日の私はなんだか審査員な気分だった。
「悪い、ちょっと電車が遅れててな」
 英輔はそう言って駆けてきた。
「そんなに待ってないから大丈夫だよ」
 私がそう言うと彼はすまなさそうに頭をかいた。
 そんな彼の服装は、春物の薄手のジャケットに下はチノパン。ラフといえばラフな格好だが前の遊園地のときよりも少
し気合が入っているあたり、きっと高志に会うことを想定してのことなのだろう。
(気配りはまあ、10点かな)
 私がそんなことを考えていると
「で、これからどうするんだ?」
 彼がそう尋ねてきたので
「えっとね、うちに来る前にちょっとこの辺散歩しない?」
 私がそう言うと
「ああ、そうするか」
 彼は快く了承してくれた。


 休日の街を並んで歩く。
 周りにもちらほらとカップルが見受けられる。
 私も彼とそんな風に見られているのだろうか。
「ねえ英輔、なんか最近変わったことあった?」
 私が尋ねると
「ん? 別に特には。……あ、いや。2年になってあいつと一緒のクラスになっちまったんだよな……」
 英輔は眉をひそめて言った。
「あいつ?」
「ほら、佐伯だよ佐伯」
 英輔はげんなりとそう言った。
 それで私は思い至る。
「ああ! あの英輔にぞっこんだった彼ね。最近どうなの? あの時は火砕に気を持ってかれてたみたいだけど」
 私が言うと
「それだよそれ。どこにいるのか知ってるなら教えてくれってしつこくてな。でも流石に教えるわけにもいかないだろ?
 お前の家にいるなんて言ったらどうなることか」
 英輔は溜め息をついた。
「ははは、それは災難だね。でもいいじゃん、また英輔に言い寄ってきたらそれこそ大変だよ?」
「う! それを言うな! あの時のショックを思い出すだろ!」
 英輔は顔を赤くしてそう言った。
「そういえば英輔、佐伯にファーストキス奪われたって泣いてたっけ」
「あ、あれは数に入らない! ていうか入れたくない!!」
 必死にそう言う英輔をからかっていると、前方にあるお店にふと視線がいった。
 ガラス張りのショウウィンドウに女性用の派手な下着を着せたマネキンが沢山並んでいる。
(ああ、最近オープンしたランジェリーショップか。あんな大胆に表に出さなくてもいいのに……)
 まあ、それが注目を引くための店の狙いなのかもしれないな、と思ったところでふと気がついた。
(あれってもしかしてとおるんが言ってたチェックポイント?)
 私も英輔の動向を少しチェックすることにした。
道行く男性は、やはりちらーっとそれらを眺める傾向にあるようだ。とあるカップルは女性のほうがそんな男性を叱咤す
るように頭をはたいていた。
 英輔の視線はというと、神妙な面持ちでずっと前を向いていたが、一瞬だけ、ちらりとそのショウウィンドウに目が行
ったのが分かってしまった。
「……英輔?」
 私が低い声でそう呼ぶと、彼はびくりと肩を震わせた。
「な、なんだ?」
 その慌てようが余計に憎い。
「さっきのあれ、見たでしょ、ちらっと」
「な、何を?」
 しらを切る英輔にさらにいらっときた。
「だから! さっきのした……」
 思わず大きな声で言おうとしたら、英輔ががばっと私の口を手で押さえた。
「そういうことを大声で言うな!」
 押し殺した声で英輔が言う。
 彼の手が離れた瞬間、
「~~! 英輔のスケベっ」
 私はそう言い捨てて歩を速めた。
「お、おい!?」
 彼が慌てて追ってくるのが分かった。

 ……別に、ここまで怒ることでもないことだとは分かってる。
 ちょっとぐらいあのマネキンに目が行ったって、それは仕方ないんじゃないかなって、分かってはいたんだけど。

(さっきの、まるで子供扱いだよ。英輔って私のこと、ちゃんと女の子として見てるのかなあ?)
 そんな不満を覚えざるを得ない。
 そりゃあ、この間だってキスしてくれたし、
 その前は「我慢できなくなるから」なんて言って逃げていったし。
 それが嬉しかったのは、事実なんだけど。
 なんかもうちょっと、こう、分かりやすい情熱的な行動で示してくれないかなあ?

(……いや、ちょっと待てよ。これじゃあ私が欲求不満みたいじゃん。なんかやだなあ……)
 なんてことを考えながら歩いていると
「朔夜さん! 前!!」
 後ろのほうからふうちゃんの緊迫した声が聞こえたかと思うと、前方の横断歩道の信号は赤で、カーブしてきた黒い車
の車体が目の前にあった。

「!!」

 思わず目を瞑ったら、誰かにものすごい力で引き寄せられていた。
 途端クラクションの音が交差点に派手に響いて
「気をつけろやコラぁッ!!」
 ヤンキーみたいな男の怒声が背後で聞こえた。
 どすが利いていて、ちょっと怖い。けれど
「すみません」
 頭の上で聞こえたそんな凛とした彼の声に、私は自分でも驚くほど安心していた。



 とある公園のベンチに、私たちは並んで座っている。
 その前にはふうちゃんが怖い顔で仁王立ちしている。
「まったく、たかだかあれしきのことで注意散漫になって危うく車に轢かれそうになるなど言語道断! 貴女のお父様が
聞いたら卒倒なさってしまいますわよ!!」
 彼女は顔を真っ赤にして私にそう言った。
「……ごめんなさい」
 私がしょぼくれていると
「神宮寺、そんながみがみ言ってやるなよ。確かに危なかったけど、憐の彼氏のお陰でこうして無事なんだからさー」
 とおるんがふうちゃんの肩を叩いた。が、ふうちゃんは勢い衰えず今度は英輔に向き直って
「いいえ! 元はといえば貴方に原因があるのですよ!? お付き合いしている女性がいながらたかだか人形の下着姿に
目をとられるとは何事ですか!!」
 初めて会う彼にすら、いつものように厳しく叱咤した。
「……すみません」
 英輔も顔が上がらないのか大人しくそう呟いていた。
 すると
「まあまあ神宮寺さん、お説教はその辺りにしておいてあげましょうよ。今日は遠距離恋愛中の2人がゆっくり過ごせる
せっかくの機会なんですし、あまり私たちがお時間を割いてしまっては申し訳ないわ」
 りおりんがやんわりと、包み込むようにふうちゃんをなだめた。やっぱり大人だ。
「う……まあそれもそうですわね。東条さん、でしたかしら?」
 ふうちゃんに呼ばれて英輔は顔を上げる。
「はい?」
「今後このような無様なことはなさらないこと。いいですわね?」
 ふうちゃんがそう言うと、英輔は
「はい……」
 申し訳なさそうにそう答えた。が、ふうちゃんはひとつ、付け足すようにこう言った。
「まあ、朔夜さんをちゃんと守ったことには敬意を表しますわ。助けたのが貴方でなく彼女の守護精霊さんだったら形無
しですものね」
 英輔はそれを聞いて苦笑していた。
 私もふうちゃんの言い方の不器用さに少し笑う。

 そして3人とはここで別れることになった。
「清く正しいお付き合いをするのですよ」
 ふうちゃんはまるでお母さんみたいなことを言う。
「またなー、今度会うときには私も彼氏作っておくからダブルデートしようぜー」
 とおるんがそう言うと、ふうちゃんが意味深な笑みをもらして、2人が何やら言い争いを始めてしまった。
 私が呆れながらそれを見ていると、りおりんが私に小さく手招きした。
「?」
 私が彼女のほうに寄ると、りおりんは私の耳元でそっと
「彼が仕掛けてこないなら自分から仕掛けてみるといいわよ」
 そう囁いた。
「!?」
 思わぬ人物が大胆なことを言ったので、私は仰天してしまった。
 それもそのはず。
「あれ、理央?」
 がみがみといがみ合っていたふうちゃんととおるんの後ろから、知らない男の人の声がした。
「あら、健ちゃん。奇遇ね」
 りおりんは親しげにそう言って、その声の主である男性のもとへ駆け寄った。
「え!? ちょ、ま!? それ、もしかして……」
 とおるんが面白いほど口をぱくぱくさせている。
「まだ皆に紹介してなかったわね。こちら、私の彼の山本健ちゃん」
 りおりんがにっこりとそう紹介すると、私たちより年上そうな長身の彼は愛想よく笑ってお辞儀した。
「ッ!? は、羽柴さん、あ、貴女いつのまにその方と……!?」
 ふうちゃんもとおるんと同じくらい面白い顔になっている。
「えっとね、任務で某大学に忍び込んだときに……って話せば長くなるわ。健ちゃん、今時間ある?」
「ああ、大丈夫だよ。せっかくだから俺たちのことお友達に話すか?」
「ええ、そうしましょう。あ、憐ちゃん達は気にしないでね。また一緒にデートしましょう?」
 りおりんは私にそう言って、彼氏と仲良く手をつないで歩いていった。後に続くふうちゃんととおるんの動きがよろよ
ろで、なんだか見ていて面白い。
「わー。りおりんって年上の彼氏持ちだったんだ。意外といえば意外だけど意外でもないかも」
 私がそう呟くと
「お前の友達って面白いよな。なんか、個性的で」
 英輔はそう言った。
「そうかな? ああ、うん、そうだね。でも皆良い子なんだよ。ふうちゃんもあんなだけど優しい子なんだからね」
 私が念押しすると
「分かってるよ」
 英輔は笑った。



 とりあえず、私達はそのまま朔夜家へ行った。
 今日は高志は仕事で遠方に出掛けていて、英輔はほっとしたような、それでも挨拶したかったかのような、そんな複雑
な顔をしていた。

 ……ところで、私はりおりんのあのアドバイスをどのように扱おうか悩んでいた。
 とりあえず、今は私の部屋で英輔と2人きりだ。
 隣の部屋は緋衣の部屋だが、今日から彼女はカルチャーセンターで裁縫教室の講師デビューを果たすと張り切って出掛
けていったから、今は誰もいないはずだ。
 少し離れた向かい側の部屋は火砕の部屋だが、彼もまた、毎日様々なボランティア活動で外に出掛けているので今日も
部屋にはいない。
 ちなみに埴輪は剣を磨いてもらうため今日はイーグル本部にいる。
 屋敷にいるメイドも、用がない限りは部屋に入ってこない。
(……いや、でもちょっと待って。なんで私がこんなこと考えなくちゃいけないのかなあ……そもそもこういう状況を喜
ぶのは男の子のほうだよねえ? あー、やっぱ駄目だ私。仕掛けるっていっても何をどうしたらいいか分からないし……
。ごめんりおりん、せっかくのアドバイス、役に立てられそうにないや……)
 私は心の中で彼女に侘びつつ、先ほどメイドが持ってきてくれた紅茶を口に運んだ。
 すると丸いテーブルを挟んで向かい側の席に座っていた英輔が話しかけてきた。
「なあ可憐、ベッド借りていいか?」
「!?」
 私は思わず口に含んでいた紅茶を吹き出しそうになった。
 むせそうになりつつもそれを慌てて飲み干して、
「な、な、な、何で!?」
 そう問うと、こちらの焦りように驚いた様子の英輔が
「え、あ、いや、この家のベッド、前に借りたときふかふかだったからちょっと懐かしくなって……」
 そう言った。
(……ああ、そういう意味か)
 私は何か勘違いした自分の頭をはたきたくなった。
「どうぞ」
 そんな心境を悟られまいと声を発したつもりだが、なんとなくふてぶてしい言い方になってしまったのは見逃してほし
いところだ。
「? じゃあちょっとだけ」
 英輔は微かに首を捻りつつも立ち上がってベッドのほうへ歩いていった。
 確かに、うちの屋敷のベッドは高志のこだわりでなかなかに上等なものを使っている。
「お前のベッドでかいなあ。俺の部屋にあるやつの2倍はあるんじゃないか?」
 英輔がベッドに腰を据えてそう言った。
「うん、まあね」
 特に、私の部屋のベッドは私がうなされて寝返りを打っても落っこちないようにといった配慮からか少し大きめの特注
品だったりする。
 私が短く答えたせいか会話が途切れてしまった。すると
「……なんかやけに口数少ないな。まだ怒ってるのか? さっきのこと」
 英輔がそんなことを尋ねてきた。
「別に。そんなことないよ」
 特段そっけなく言うつもりもなかったのに、なぜかそんな風に聞こえてしまう言い振りになってしまった。
「そうか? いや、怒ってるだろ」
 そんなこと、ないのに。
「別に怒ってないよ。英輔だって男の子だもん、ああいうのに目が行ってもおかしくないでしょ?」
 私がそう言うと、彼は少しばかり赤面して
「べ、別にじっと眺めてたわけじゃないだろ! ちょっと気になってちらっと見ただけだ、ちらっと」
 そう言った。
「なんだ、やっぱ見てたんじゃん。どうせ認めるんならわざわざあんな見てない振りなんかしなきゃよかったのに」
 すると彼は顔をしかめて
「見ました、なんて素直に言えるわけないだろ! 女の子に! まして彼女に!」
 大真面目にそう言った。
「…………!」
 私は思わず息を呑んだ。
 さっきの英輔の言葉が頭の中を巡る。

『女の子に。まして彼女に』

 それを聞いて、私は自然と笑みをこぼしていた。
「……? なんだよ、急に笑って」
 英輔が怪訝な声を上げる。
「……別に。英輔の口から初めて『彼女』って言葉が出たなと思って」
 私が笑いをこらえながらそう言うと、彼はまた赤面して
「な、なんだよ。別に付き合ってるんだからいいだろ」
 拗ねるようにそう言った。
 そうだね、と囁いて、私は彼の隣に座りにいった。
 英輔が微かに息を呑むのが分かった。
(……ほんと、慣れてないなあ)
 私は心の中でそう呆れつつも微笑ましく思いながら
「英輔、私のこと好き?」
 わざと、彼にそんな質問を投げかけた。
 彼は照れ隠しなのかそっぽを向く。
「す、好きだから付き合ってるんだろ! なんだよ急に」
「どれくらい好き?」
 私が訊くと、そっぽを向いている彼の耳が赤くなり始めた。
「……ど、どれくらいと、言われてもだな……」
 まだまだ、今日は引き下がらないよ。
「どれくらい? 言っちゃっていいんだよ? どうせ今日は周りに誰もいないんだし」
 私がその辺りを強調してそう言うと、英輔はぐっと頭を垂れてから、
「あ、あんまりそういうこと訊くな! 恥ずかしいから!!」
 なんだか泣きそうなくらい真っ赤な顔で振り向いてそう言った。
 私はそんな彼の反応に、怒るというよりあきれ返るというか、むしろ笑ってしまった。
 笑いが止まらない。
「!! わ、笑うな馬鹿!! なんなんだよお前はッ!」
「ご、ごめんごめん。だって英輔がそんな顔でそういうこと言うからなんかちょっと……」
 いじめすぎたかな、なんて必死に笑いをこらえながら思っていると
「……お前は……」
 妙に切ない英輔の声が耳に入った。思わず私は笑いを止めた。というより自然と止まった。
「お前はどうなんだよ」
 今度は彼が私に問う番だった。
「え?」
「だから。お前は、俺のこと、どれくらい……」
 好きなのかって?

 そんな真剣な目で訊かないでほしい。
 そんな震えるような声で訊かないでほしい。

 どれくらい好きかだって?
 そんなの言い表せないに決まってるよ。
 『好き』だけじゃ全然足りない。
 『大好き』でもまだ足りない。
 何回言ってもきっと足りない。

 ああ、もしかして。
 英輔も、私と一緒なのかな……?


 そう願った瞬間、彼の大きな手が私の腰を引き寄せた。
「!」
 まるで1週間前のあの時と同じようなシチュエーション。
 ただ、前回と違うのは、ここでなぜかワンクッションあったこと。
「…………?」
 顔が、身体が近づきすぎて無駄に心拍数が上がっていく私を、英輔はじっと見つめている。
 その目が、いつもの照れ屋の少年のものとは全く違って見えて、余計にどきどきしてしまう。
 まずい。このままだと頭に血が上りすぎて倒れてもおかしくない。
「……英輔?」
 そう絞り出した声は、自分でも驚くほどか細くて、なんだか余計に恥ずかしくなってしまった。
 すると、英輔はぱっと手を離して、
「これに懲りたらあんまり男をからかうなよ?」
 少し意地悪げにそう言った。
「な!」
 逆にからかわれたのだと分かって私は憤慨する。
「英輔の馬鹿ッ! 女の子相手に意地悪するなんてサイテーっ!!」
 勢い任せにぽかぽかと英輔の身体を叩きまくると
「ぃたたた! こら、ちょっとは手加減しろ!!」
 英輔はたまらないとばかりにベッドに倒れこんだ。
 それでも私の怒りは収まらず、倒れこんだ英輔になだれかかってまだ猛攻を続けた。
 そうしていると、軽く扉が2回ノックされて、ガチャリと扉が開いた。
「お嬢様、東条様、ご昼食の準備が整いましたが……ッ!?」
 開いた扉の先にいたのは、この屋敷で1番歳若いメイドである柚木さんだ。目をまん丸にしている。
「し、ししし失礼しましたッ!! も、ももも申し訳ありませんッ、お食事は食堂にございますのでッ!!」
 慌てんぼうの彼女の行動はいつも見ていて面白いのだが、このときの彼女ほど慌てている人を私は見たことがなかった

 バタン、と扉が閉まって、部屋に静寂が訪れる。
「……どうしたんだろ?」
 私が閉まった扉を眺めながら尋ねると、
「……お前な。この状況を見たらそりゃあ勘違いもするぞ」
 下から英輔の呆れた声が聞こえた。
「へ?」
 よくよく見ると、いつの間にか私はベッドに倒れた英輔の上に馬乗りになる形にまでなっていた。
「ッ!?」
 私は慌てて退いた。
 すると英輔も少しばかり顔を赤らめながら起き上がって
「……ったく、すぐ周りが見えなくなるとこ、ちゃんと直せよ。今日も危なかったんだからな」
 そう言った。
(あ……)
 それで思い出した。
 まだ、今朝のお礼を彼に言っていない。
「英輔、今日はごめん。ありがとう」
 私が急に改まってそう言ったせいか、英輔は一瞬ぽかんとしたが、すぐに優しく微笑んで
「……どういたしまして」
 そう言ってくれた。
 今日は朝からなんだかややこしいことになったが、これでなんとか仲直りできたような気がする。
 私はそれが嬉しかったのか、次の瞬間、自然と身体が動いていた。
「!」
 無防備だった英輔の唇に、軽く自分のそれを触れ合わせた。ほんのちょっとだけの、本当に短いお礼のキス。
 顔を離してから、私は何事もなかったようにベッドから降りる。
「お昼できたって言ってたよね」
 私がそう言うと
「あ、ああ。……ちょうど腹減ってたんだ。助かるよ」
 英輔もゆるゆるとそう言って立ち上がった。
「もー、何それ。『今は昼飯よりお前を食べたい』くらい色っぽい台詞言えないのー?」
「な!! おま、またなんか変な小説の影響だろ!! あとでお前の本棚一掃してやる、覚悟しとけよ!!」
 英輔は顔を真っ赤にしてそう言った。
「えーー!? 午後は外に出掛けるんだから駄目だよーー!」
 私達はそんな他愛もない言い争いをしながら、部屋を出た。



 そんな週明けの、月曜日。
「でー? あの後どうなったのかな?」
 朝の挨拶もそれなりに、とおるんがそう尋ねてきた。
「い、伊草さん!! 貴女はまたそんなことを! 人のことを気にする時間があるならもっと自分を磨くべきですわッ」
 ふうちゃんがそうつっかかって、2人はまたいがみ合いを始めた。
 すると傍らにいたりおりんが
「何かしてみた?」
 笑顔でそう訊いてくる。私は苦笑して
「英輔ってばほんと照れ屋で奥手なんだよ。こうなったらもう向こうが噛み付かずにはいられないくらい女を磨いてやる
しかないかなーなんて」
 そう言うと
「あらあら、そんなに磨かなくても憐ちゃんはもう十分輝いてるわよ?」
 りおりんはそう言って微笑んだ。
「そうかなあ? 私なんてりおりんや緋衣に比べたらまだまだ色気が足りない気が……」
 私が唸っていると、りおりんはぽん、と私の肩を軽く叩いて
「そうやって悩んでるとこが可愛いのよ。恋する女の子はやっぱり輝いて見えるんだから」
 そう言った。

 なるほど。
 確かにりおりんも1年の3学期に入った頃あたりから前にも増して大人っぽくなったような気がしていた。その頃から
あの山本さんて人と付き合っていたのだろうか。
(私もそんな風に見えるのかな?)
「悩みも多いけど、やっぱり楽しいわね、恋愛って」
 幸せの溜め息をつきながらりおりんがそう呟いた。

 確かに悩みは尽きない。
 英輔が向こうでどんな生活をしているのかなんて、メールの短い文章だけじゃ全部は分からないんだから。
 色々心配することも多いけど、でも。

「そうだね」
 いつでもそうやって想える人がいることは、やはり楽しいし、嬉しい。

 すると傍らで騒いでいたふうちゃんととおるんがぐるんとこちらを向いて
「ッ!! 貴女たち、恋愛もよろしいですけどそれにかまけて勉学や任務をおろそかにしては鷹の方学園の名折れですわ
よ!? 分かってらして!?」
「私もそう思うぞ神宮寺! 初めて気が合ったな!!」
 そう叫んできた。
「「はーい」」
 私はりおりんと一緒にわざと気のない返事を返す。
 それを受けてまたふうちゃんととおるんの説教が始まった。



 英輔へ
 学校で英輔の話を出すと周りがすごく盛り上がるよ。
 英輔は照れ屋だから私の話は学校ではしないのかな?
 でもたまにはちゃんと自慢してね。
 私のこと、『彼女』だって。


はい、キャラ投票1位になった憐ちゃんを中心にしたどうってこともないのろけ話でした。
英輔もかなり票が入っての2位だったのでばっちり登場してます。
鷹の方学園サイドは作中では全く描けなかったので今回書けてちょっと満足です。憐の周りの友人が結構気に入ってます。特にふうちゃん(笑)。
実は2章で彼女のセリフらしいセリフが憐の口から出ているんですが気づいた方はいらっしゃいますか(笑)?
本気でふうちゃんのスピンオフ書いてもいいわーとか思った私です(笑)。

しかし憐ちゃんはほんと色々迷走してますね(笑)。英輔よ、もうちょっと察してやってくれよと言ってやりたくなります。
いやでも英輔がそこまで攻め攻めになるのも変な感じしますしね(笑)。
ていうか今回もどこかに挿絵を入れようかと思って例のメイドさんが目撃してしまった現場とか考えてたんですけど、絵に起こすとやけにやらしく見えたので(笑汗)自重しました、はい。

ともかくもまだまだこんな感じにまったりお付き合いしていく英輔と憐なわけですが、今後も温かく見守ってやりたいところです。

ここまでお付き合いくださった皆様、本当にありがとうございました!!
またどこかでお会いできれば幸いです。
2009.4.8 あべかわきなこ

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